別冊インテリジェンス|タテを切れ!!ジュニアユースを追う



























全国には数千のJyサッカーチームが存在する。
年間何千という公式、非公式の試合が組まれ、
数知れないドラマが生まれ、消えている。
サポーターがブログで自論を展開するのは珍しくはないが、
Jyサッカーは少し違う風景がある。

チームは必ず解散し、彼らはそれぞれの道を歩む。
我が子のプレーを見守る想いは、勝利を願う心だけではない、
スタンドを国旗で揺らす愛国心でもない。
それはきっと、「卒業」する前に、伝えておきたい、
結果だけではない、数字以外の何か。
全力のプレーが生まれていく限り、それは書き綴られ、
祈りに似た静かな言葉だけが彼らの胸に残る。

無数のサッカーブログから紹介する、
父が子とその仲間たちに贈るもうひとつのサッカー物語。






ジュニアユースとしての最終学年、最後の公式戦が終わりましたね。
率直に、どのようなお気持ちですか。

この試合(2011年10月30日FC東京むさし戦、第4回東京都ユースU15サッカーリーグ後期)は、関東チャレンジリーグで1位抜けするわずかな可能性を賭けた試合でした。

相手がF東むさしということもあり、選手たちのモチベーションも高かったのですが、ラスト5分で追いつかれ、その可能性も絶たれてしまいました。

試合終了の瞬間は、本当に終わってしまったなあ、という思いだけで、特別な感慨はなかったと思います。

最後の試合が、たとえば高円宮杯のトーナメントでの敗戦だったりすると、全国大会への道も開かれているので、高校サッカーの最後のロッカールームのような感情もあったかもしれませんね。

もっと何か沸き上がるかなとも思っていましたが、結構あっさりしたもので、これからしばらく週末が暇になるな、というようなものでした。(笑)

初めからジュニアユースの面白さや情報などは持ち合わせていたのですか。

いいえ、私自身、息子がForza`02に入るまでは、大会の情報や組織など、ジュニアユースサッカーについては、まったく知識を持ち合わせていませんでした。

でも、息子とともに、いろいろな状況を把握するにつれ、難しさや面白さを発見し、ハマったように思います。

息子さんの学年は、新人戦の都大会優勝を果たした直後、東日本大震災が起き、その影響でホームグラウンドが使えないなど、「長いこと時間が止まっていたような感覚」も経験しました。
3年間を振り返って、いかがですか。

1つ上の代の全国大会出場、それからU14の東京都クラブユース(新人戦)とフレッシュカップの同時優勝を選手たちと一緒に経験できたことは想い出になっています。

チームが勝利することは、選手たちだけではなく、保護者のモチベーションにもつながります。感動を与えてくれた選手たちに、感謝するばかりです。

もうひとつ、所属するチームが1学年50人くらいの選手を抱える大所帯なので、公式戦に出られない選手の方が大多数であるという現実を認識しましたね。

実際、チームには、小学生の時には試合に出られないというのは、ちょっと経験したことがないような選手たちばかりなので、その面でのストレスがあったことは否めません。

このストレスをどうするかは、他のチームでも抱えている現実のようで、チームマネジメント上も難しい問題だなと思っています。

一方で、チーム自体は、メトロポリタンリーグで、Jリーグ下部組織のチームと対戦できるなど、ジュニア時代にはなかった刺激もたくさんありました。

ところで、このチームのブログを立ち上げようとした動機は。

いくつかありますが、一番の動機は、息子のサッカーの記録を文章に書いてみたいと思っていたことです。

もともと、息子の試合をビデオで記録する習慣はあったのですが、文字という媒体で残すことにも興味があり、チャレンジしてみようと。

ブログという手法としたのは、息子の2つ上の学年の、やはり父兄の方が書かれていたブログがありまして、参考にしました。

どんまいだよ」ですね? 
サッカーを通じて、父と子の会話、家族愛のようなものが浮き彫りにされていました。ほのぼのとした、どこかすがすがしいブログですね。

ええ。
このブログが、ご子息のチームからの卒業とともに終わってしまいまして、チームの情報の共有や発信を促したいと思ったことなどが理由ですね。

「タテを切れ」というタイトルの由来は?

小学生のときには、あまり聞かなかった言葉ですが、このチームに入ってサイドバックを守るようになった息子が、試合中、コーチから「タテを切れ!タテを切れ!」と、盛んに声を掛けられているのを聞きました。

それで、サッカーブログのタイトルとしても語呂がいいかな、と思って付けました。

JYでは遠征も多くなり、機材の用意や日程調整だけでも一苦労です。
記事作成に、毎回、どのような準備をされますか。

公式戦の時には、試合をビデオ撮影をするようにしていたので、前日までにバッテリーの充電とテープを準備していました。だいたい1試合の撮影で、バッテリーを2本準備するようにしていました。

U14のフレッシュカップ(第2回東京フレッシュカップ)新人戦(第18回東京都クラブユースサッカー選手権大会)の決勝戦は、同じ日(2011年2月20日)に、同じ場所(西が丘で決勝戦が行われたのですが、3年生たちは、2つのチームを作ってそれぞれ決勝戦まで勝ち上がりました。

それで、決勝戦当日は撮影も2試合分が必要となり、試合分のバッテリーを揃えましたね。

仕事がら、休日、会社に行くことも多かったので、試合のスケジュールの合間を縫って、仕事をこなすなどしていました。(笑)

少なくともこの3年間は、サッカーを優先しようと決めていましたが、ほぼ調整できたと思います。

記事は、いつ、どのようにして書いていますか。

試合をビデオ撮影した時には、 試合観戦から帰ってくるとすぐに、試合の様子を見ながらテープのデータをハードディスクレコーダーに落とします。

ポイントとなるプレーは、ハードディスクに落としたデータを繰り返し再生して確認します。ブログで文字にする時には、できるだけ間違った情報とならないことを心がけていました。それでも、間違っていることは多々あったと思いますが。

ビデオは、試合から帰ってきた息子とも必ず一緒に観て、各局面でのベンチの指示やピッチ上の相手の印象とか、今日は誰が調子良かったかなど、息子の感想も聞いて、参考にしました。準備が整ったら、パソコンに向かい、ブログの記事にします。

時間が経過してしまうと、臨場感が薄れてしまうのと、翌日になると記事を起こす時間も取りにくくなるため、試合の当日にアップするようにしていました。

撮影をしない試合は、試合中に取ったメモを整理して、ブログに起こします。ビデオで確認することができないので、ブログをアップする前に息子に間違いがないかを確認していました。

表現は、できるだけ単調とならないように心がけたつもりです。

記事にする内容の充実度は、試合の内容に依存するので、良い試合の時には良い記事が書けたと思います。

モチベーション維持などメンタル面の記事も多くみられます。
多感な思春期を過ごしているジュニアユースに向けての記事ということで、特別、心掛けているような点はありますか。

一番心掛けているのは、プラス思考での記事とするという点です。

サッカーは、試合時間の中で思うようにならないシーンというのが、ほとんどだと思うんです。

でも、ブログの記事として、それを取り上げても楽しくないし、私ごときがそれを語るのもおこがましいし、、、。

それよりは、次の試合に向けて、上手くいったところをスマートに表現する方が楽しいですしね。

選手たちも、試合で得点を決めたり、アシストを決めた時には、このブログに自分のことが書かれるのを楽しみにしている、とも聞きますし、時には自分のことを書いて欲しい、というリクエストを息子を通じて聞くこともありました。

前向きな記事とすることで、チーム関係者を始めとする多くの読者が楽しく、興味を持って読めたのではないかと思います。

ゲームに勝利した日、あるいは敗れた日の夜、父と子はどのような会話をしますか?

試合の後で、必ず一緒に試合のビデオを観るので、私は「このクロスは良かった」とか「ここはシュート撃てよ」といった息子のプレーについての感想を述べます。

息子は、「これは上手くいった」とか、「この場面はパスで良いんだ」とか主張したり、チームの戦術を説明してくれたりします。まあ、私が息子の思いを確認するような会話となりますね。

また、息子は、誰々のトラップはヤバいとか、ナイスセーブとか、仲間を褒めます。実際、チームの中には巧い選手がたくさんいるので、仲間の良いところが見えているのは、いいことだなと思います。

記事では、国際試合の観戦記なども盛り込まれていますね。

昨年、世界各所のチームが集まった大会を観戦しましたが、必ずしも代表選手ではなかったので、その時の印象が全てではないだろうなと思います。

ただ、U14という世代では、やはりブラジルやアフリカの選手の体格とスピードは違うという印象を持った記憶があります。

日本の選手が全く付いて行けない訳ではないので、U15の世代で代表選手として育成された選手同士であれば、戦術でカバーされる部分が多いにあるように思います。

記事を読まれる読者の目を感じたことはありますか。

ブログのことが少し広まってからは、読まれることを意識して記事を書くようになりました。

読者の目という意味では、選手たちの目もそうですし、チーム関係者、選手たちの保護者の方、他のチームの方もそうです。

本来は、ただの個人的なブログであったはずなのですが、半年くらい経った頃には、半分はチームの広報係みたいなイメージで書いていたと思います。

記事を書く上では、チーム内の情報共有ということも意図しますし、知らない人にForza`02というチームを知ってもらうようなことも意識してます。

ブログが始まってから、チームの様子がよく分かった、という感想を保護者の方からお聞きしたこともあります。

ジュニアユースを語るというほど、大げさなものではありませんが、チーム関係者以外の方にも興味をひくような内容もあったかもしれません。

ブログを通じて、何を伝えたいと?

選手たちに対するメッセージ性はあまりないのですが、ただ1つだけ、サッカーをできることがあたりまえだという感覚を改めなければならないということは、言えるように思えます。

これは、311の大震災を経験して選手たちもそのことを自覚しているように思えますが。

ジュニアユース世代は、所詮まだ保護者の庇護のもとでの活動なので、コーチや保護者をはじめとしてジュニアユースを支えてくれている関係者の方がいて、サッカーすることができると思います。そういう感謝する気持ちを忘れないで欲しいと思います。

観戦したゲームには、猛暑や吹雪、ゲリラ豪雨もありました。
記録し続けようとした原動力は何であったと?

根本的にあるのは、感動の場面の記憶を見逃したくない、維持したい、あるいは共有したいという想いです。

これは、サッカーに限りませんが、記憶として頭の中に刻んだものは、どうしても時間とともに薄れていってしまいます。映像なり、写真なり、文章なりの記録があれば、その場面を思い起こすことができます。

また、その記録により記憶を共有することができます。とくに、この3年間は、ジュニアユースサッカーに傾注しようと決めて記録を始めたので、途中で投げ出さすに頑張って続けました。

思わぬ反響などは、ありましたか。

チームの保護者の方からは、好意的な意見をいくつかいただくこともありました。

「子供は、チームのこととか試合のこととか、家では何も話してくれないので、ブログが始まってから、チームの様子がよくわかるようになりました。記事をもとに、こどもと会話することも増えました。」とか、「楽しく読んでいます。卒業してからも続けて下さい」とか。

また、一度、記事に対して批判的な意見をブログ上のコメントでいただいたこともありました。その時は、不特定多数の方の目に晒されているインターネット上でのブログ運営の難しさを初めて認識しました。

永遠に忘れえぬベストゲームを挙げるとすれば?

やはり新人戦の決勝戦ですね。

会場が西が丘で、主審が国際審判西村雄一さん、そんな素晴らしい舞台は、選手たちのこれからの人生においても、なかなか経験のできるものではありません。

結果として、強豪三菱養和巣鴨を相手に逆転勝利して優勝したことは、選手をはじめ、多くの人の胸に深く刻まれていくと思います。

また、ひとつ上の代のチームが全国大会出場を賭けて戦った関東大会(U15 第16回関東クラブユースサッカー選手権大会 兼 第25回日本クラブユースサッカー選手権大会・関東予選)の大宮アルディージャ戦は、私の中でのベストゲームです。

当時、関東リーグでトップを走っていた大宮アルディージャを相手に、チームの戦術がぴったりハマった感じで完勝しました。U13、U14の選手たちも全員で応援して、チーム全員で勝利を喜んだ、感動的な試合でしたね。

記憶に残るプレーをひとつだけ教えてください。

印象的なプレーは、本当に数多くあって、ひとつだけ選ぶというのは非常に悩ましいですね。

あえてひとつ選ぶとすれば、雪のヴェルディグラウンドでのFC東京むさし戦(2011年2月11日)の決勝ゴールのシーンです。

降雪の中、息詰まる試合展開でしたが、息子が蹴った右サイドからのコーナーキックのボールを、ゴールのファーサイドにいた選手がヘディングで決めました。

最後まで全員でファイトした試合でしたので、ゴールの瞬間、心の底から「良くやった!ナイスアシスト!ナイスゴール!」と思いました。

「自分の目の前で繰り広げられるノンフィクションドラマ」と書いています。
国際Aマッチも、ジュニアユースのゲームもドラマ性という点では共通しています。改めて、サッカーが与えてくれた感動、醍醐味とは。

国際Aマッチと違うのは、身近な選手たちがサッカーをやっているというところですね。

息子が出場していなくても、Forza`02というチームを応援したいという親近感を覚えるようになりました。3年間で子供たちの個々が成長し、チームが成長する様を見届けることもできたと思います。

ジュニアユースとはいえ、選手たちの技術には目を見張るものがあり、そのプレーを通じて与えてくれた感動は、数えきれません。

選手たちがこのチームを卒業することを惜しむ気持ちは、私を含めて保護者の方々の方が選手よりも強いと思います。

書き続けてきたことで、変わったこと、新たな発見はありましたか。

この3年間は、チームの試合の結果だけでなく、ネット上に公開されているジュニアユースの全国大会の経過や結果等の情報にも注目していました。

世間的に注目が集るのは、高校サッカーであったり、U18のクラブユースであったりするのですが、その一つ前の世代であるジュニアユースのサッカーに対しても、熱い情熱を傾けている指導者や保護者がたくさんいることが分かりましたね。

今年の夏、大阪のクラブチーム(RIP ACE)と練習試合をしたのですが、珍しく大量失点で大敗を喫してしまいました。

東京都だけで100を超える数のジュニアユースのチームのなかで、Forza`02は強いと言う印象が在りましたが、その試合はひどい負け方で、日本のジュニアユースサッカーの裾の広さを改めて認識しました。

卒業後、ブログはどうなるのでしょう。

息子がジュニアユースを卒業するタイミングで1つの区切りとなるので、「タテを切れ!!」は終わりにしたいと思っています。

ただ。記録することは何らかの形で続けたいと思っています。タイトルを変えて、またブログを始めるかもしれません。

書き切ったという感想は全くありませんが、なんとか使命を果たすことはできたのではないかと思っています。

ブログには、よく「サッカーの神様」が出没しますね
神様は、どこにいますか。

サッカーに限らず、努力を続けていれば必ず報われることはあるだろうし、サボっていれば、しっぺ返しを受けることもあります。

その取り組みのプロセスは、自分が一番よく分かるわけで、努力をしていればサッカーの神様が見ていてくれて、きっと良いことがあると自分で本気で思えるし、サボっていればヤバいなと自分で反省したりもする。

その気持ちの差が結果に顕れるのではないでしょうか。「これだけ頑張ったのだから、神様助けてくれよ!」というように。

だから、サッカーの神様は、各選手の心の中にいるのかもしれません。


文責WASEDABOOK編集部
インタビュー 2011年11月









Forza’02について

非Jリーグ下部組織の強豪チーム

東京クラブユースサッカー連盟に加盟するForza‘02は、Jリーグ下部組織のチームに匹敵する力を備えた強豪チームとして知られる。

正式名称はNPO法人ワセダクラブ Forza‘02。早稲田大学伏見グラウンド(西東京市)を拠点として活動するジュニアユースクラブチームだ。

育成についても、Jクラブとは一線を画し、特色がある。方針は、文武両道、基礎技術の習得、全国大会出場を明確な目標に掲げている。

「サッカーの楽しさを知る」と同時に、「試合に勝つことにより努力の意味を知り、精神力の向上を図る」など、勝負にこだわるスタンスはスポーツ本来の理念で一貫する。

現在の組織体制となった2002年以降の戦績は目覚ましく、2度の日本クラブユースサッカー選手権大会U15全国大会出場をはじめ、関東大会出場の常連である。
OBには、現在、FC東京に所属する田邉草民などがいる。

同チームを率いる監督に、早稲田大学ア式蹴球部時代、釜本邦茂らと天皇杯を制するなどして活躍した元日本代表大野毅

ちなみに、「forza」は「力」とか「強さ」を意味するイタリア語だ。「フォルツァ!日本」などと使うと、「がんばれ、日本!」、「ファイト、日本!」という具合になる。

ところでジュニアユースって?

U13からU15世代のサッカー

スポーツ競技をカテゴライズすると、かつてはプロとアマチュアで二分していたが、現在では、その区分けが曖昧になっている。日本のサッカーの場合、資金や組織の面で、学校スポーツ、企業スポーツ、そして社会スポーツという概念で捉えると分かりやすいかもしれない。

Forza‘02はNPO法人のため、社会スポーツとしての競技活動という側面がある。実際、上部組織であるワセダクラブは広範囲の社会事業や教育、慈善活動を実践している。
また、中学校部活で行うサッカーは、言うまでもなく、学校スポーツの一環として行われ、完全なアマチュアリズムが浸透している。

一方、Jリーグに参加する各クラブの多くは、企業法人をスポンサーとして運営される企業スポーツだ。Jリーグ傘下の各クラブは、年代別チーム、ユース、ジュニアユース、ジュニアの各チームを組織し、所有することを義務付けられている。規定によれば、ユースではU16~U18の高校生世代、ジュニアユースはU13~U15の中学生学世代の選手たちで組織される。

だから、ジュニアユースという場合、Jクラブ傘下のU13~U15に限定して使われるのが本来的ではある。

ジュニアユースのチーム

東京だけで750以上のチーム

ジュニアユース(中学生)年代のサッカー環境は、クラブチームと中学サッカー部に分かれる。それぞれ、クラブユースサッカー連盟、中学校体育連盟サッカー専門部(中体連)に所属する。

また、忘れてならないのは、この2つの組織のどちらにも所属しないチームが多数存在することだ。

東京都の場合、東京クラブチームは85チーム、中体連は661チーム(2008年度)であるから、非加盟のチームを含めると、最低750以上のチームが活動していることになる。

ジュニアユースが目指す大会

3大全国大会

ジュニアユースの大会のしくみは、一般のサポーターには、少々、分かりにくい。

原則、クラブチームと中体連に属するチームは、それぞれの組織が主催する大会に参加できる。クラブチームによる全国大会が日本クラブユースサッカー選手権(U15)大会、中体連による全国大会が全国中学校サッカー大会である。

また、クラブチームと中体連いずれも参加できる全国大会に、高円宮杯全日本ユース(U15)サッカー選手権大会がある。

なお、東京都では、クラブチームと中体連が共に参加できる通称:TリーグU-15前期後期(東京都サッカー協会主催)が年間通してリーグ戦を行っている。このうち、勝者が、翌年度の関東交流大会に出場参加の機会を得る。

ジュニアユースを観戦するには

チームのブログをチェック

ジュニアユースの試合を見るには、試合に関する情報が少なく、いささか難儀だ。
まずは、観戦したいチームのブログやHPをチェックするのが早いのだが、公式戦の試合日程のみで、練習試合などはカットされている場合も多い。

各クラブや中学校部活が専用のホームページやブログなどを所有しているところもあるが、日々の試合を更新するのは、運営上、難しいのかもしれない。

資金に余裕のあるJクラブの下部組織のチームなどは、専門の管理者などがいて、試合の結果にとどまらず、詳細な経過をレポートしているところもある。

公式戦の正確な結果について知りたければ、各チームが所属する上部組織でもチェックできる。東京都であれば、東京都クラブユースサッカー連盟東京都中学校体育連盟サッカー専門部のHPに行けばよい。

ジュニアユースの楽しみ方

気持ちいいライブ感で未来のJリーガーを探せ

サッカーする人も見る人も、人それぞれの楽しみ方があるから、大きなお世話かもしれないが、とにかくゲームを生で見てほしい。サッカーの風をきっと感じるはずだ。

ジュニアユースのゲームは、ほとんどが小さな競技場で行っているから、観客と選手の距離がやたらと近く、ボールはよく飛んでくるし、選手も飛び込んでくる。選手たちの息遣いや掛け声が直接、聴こえてくるし、コーチらの冷静な指示も興奮した怒声も聞けてうれしい。

サイドバックが一気に目の前を駆け上がったりすると顔に風が当たって気持ちがいい。大きくサイドチェンジし、線審が全力疾走し旗をパタパタ鳴らして去ってゆく。ジュニアユースのゲームには、Jリーグ中継をテレビやスタンドから眺めるのとは全然違う、臨場感溢れる心地いい風が吹いているはずだ。

戦術も戦力も異なるが、応援の仕方もそれぞれのチーム、年代で特色があって面白い。ほとんどがとても静かで紳士的だ。ジュニアユースの場合、観戦者の大多数は保護者だ。子やチームに気を遣うのか、ときには親心を開放してサッカーを存分に楽しむのも一興かも。Jのチームの中には組織だった応援をするところもあって、Jリーグ昇格を掛けたクラブなどでは笛や太鼓を鳴らして活発だ。

また、ジュニアユースは成長期とあって、中学1年時の体格と最終学年時のそれとは大きく異なっていて、技術やマインドが体力に追い付いていなかったり、逆だったりする。受験も近づけば思春期の悩みもすぐにプレーに出る。そんな心技体のバイオリズムや危うさ、ちぐはぐさも、全部丸めてサッカーのダイナミズムだ。いずれにしても選手の成長する姿を追うのは楽しい。

さらに、スカウティングのような眼で将来のJリーガーを探す醍醐味もある。応援するチームだけではなく、相手チームにも、日本代表となるような原石がプレーしているかもしれない。ジュニアユース時代から選手の成長や技術を見ていたとなれば、ひと味違うサッカーファンだ。

Forza‘02の場合、数年後には、全国高等学校サッカー選手権大会に出場してテレビに映ったりしているような選手もいるから、眼が離せない