別冊インテリジェンス|ぼくがサッカークラブを作った理由|篠田直

















昨年、東京フレッシュカップ U-14(平成23年度 第3回)では、9期目にして初めて優勝を味わいました。優勝を手にしたことで、子どもたちに変化はありましたか?
指導者として、優勝に対し、どんな評価(運営上、育成上、技術指導上)をされていいますか?

初のタイトルでしたから、率直に嬉しかったようです。ですが、Jクラブや強豪クラブが勝ち残っている新人戦で優勝したわけではありませんし、イマイチな感じは否めません。とは言え、公式戦であることに違いは無く、みんなで力を合わせて頑張ろう!っと目標にしてきたので、実際に西が丘で試合終了のホイッスルを聞いた時は、ついつい熱いガッツポーズをしてしまいました。

全員で勝ち取ったタイトルだと評価していて、フレッシュカップの初戦から西が丘での決勝戦までの間に、ケガ人を除いて全員が出場しました。まさに、「チーム一丸」を知るキッカケになれたと思っています。いわゆるレギュラー陣がベンチを温める時間も多くありましたが、そのレギュラー陣がベンチからピッチの仲間に向かってかける声は、質量ともにGONAらしく、私がいなくてもイイな!なんて思ってしまうほどでした。

新人戦で活躍できなかった選手の中でも、フレッシュカップで活躍することで、次のU15クラブユース選手権のレギュラーを勝ち取った選手も居ますし、表現の場としても、競争のキッカケとしても良い大会でした。

ただ、指導については、優勝したから云々というのはございませんでした。あくまでも、真剣にスポーツに取り組むことから得られるスポーツからの恩恵を子ども達にあたえてあげたいと思っています。人として育てばよく、結果は二の次だとは思っていません。結果を真剣に追求するからこそ得られるスポーツの恩恵があるのです。中途半端な思いでスポーツしても中途半端な恩恵しか得られませんからね。そういった意味では、優勝を追い、優勝を掴んだことで、優勝したチームしか味わえない恩恵を得られたのだと思っています。

GONAのHPやブログでは、楽しそうな笑顔が一杯、弾けていますね。サッカークラブを作ったきっかけについて教えてください。

クラブを創ったキッカケはいくつかあるんです。

まずは、私は学園ドラマのような荒れた中学校で育ちました。ビーバップハイスクールみたいな学校でした。そんな中学校時代に不良グループの番長らの心の叫びを聞いていて、そんな彼らのような少年達を助けることができないか?っと思ったのです。

早稲田大学大学院で、スポーツにより子ども達の心を健康にすることで、反社会行動や非行、少年犯罪に染まる子らを守ることができることを研究し、地域の力として、思春期で反抗期な子ども達の心の支えとなるような場を作ってあげたいと思い、クラブを作りました。

次のキッカケは、早稲田(大学)でスポーツを勉強したくて、厳しい入学試験をクリアして入学して来たのに、いざ就職となると「スポーツではご飯が食べれない」っとスポーツでは無い就職先を探す仲間が殆どだったのです。ならば、スポーツに携わる人々がご飯を食べれる社会を作っていかなきゃっと思いクラブを作りました。そうしていかないことには、日本におけるスポーツの発展は無いと思ったのです。

そして、最後のキッカケになるのですが、クラブ創設前は、自身が小学生時分に在籍していたクラブチームで小学生のコーチをしていた時でした。

当然、6年生になれば卒業をしていくのですが、選手達のほとんどは、同じクラブが運営するジュニアユースのチームへと進級する流れが出来上がっていました。そして、私が真心こめて育てた選手達が、時々、私のいるグラウンドへ戻ってきて言うのです。「あんなにサッカーが好きだったのに嫌いになりそう」「小学生の時は、何か悩んでもナオコーチ(私)が居たけど、今は話せるコーチはいない」。そんな声ばかりを聞いていて悲しくなりました。地域には、私が学んできたようなスポーツ環境が少なく見えたのです。

私は、医者が人々の健康と命を守り、弁護士が人々の人権と生活と財産を守るのと同じように、サッカー指導者は子ども達の夢と人生を守るスペシャルな仕事だと思っています。ですから、海外の指導者の多くはスポーツ指導を専門的に学んできた人が多いように思うのです。なので、大学院の授業で見てきた欧米のようなクラブを作ってあげたい!子どもたちが快適にスポーツに取り組める環境を整備してあげたいっと思ったのです。

クラブを作る際、どんなことから始めましたか。
設立に向けて障害や困難は?

地域のサッカークラブの指導者に相談に行き、アドバイスをもらいました。もちろん、賛否両論でしたが、今では大事な声だと思っていて、時々思い出します。

両親を説得するのも大変でしたね。同級生は一流企業や大学などの研究機関へと就職して行くのに、どうしてわざわざ大学院出て、安定もしないサッカークラブを作るなんて言うんだ!って言われました。指導教官の声が後押ししてくれたのを覚えています。

日本人は100人が挑戦すると99人の失敗者を見て、挑戦を諦めるが、アメリカ人は100人が挑戦すると、たった1人しか成功しなくても、その1人の成功者を見て挑戦することを決める。ならば、後先考えず、目の前にいる子ども達のために必死で立ち上がるしかない!っと思いましたね。

クラブユースサッカー連盟に加盟する時も大変でした。人数を中学1年生(当時の2期生)で11名揃えねばならず、市内の小学校の校庭でサッカーボールを蹴っている子ども全員に声をかけて回ったもんです。練習会を行えば、今では100名近くも参加してくれますが、1名という時もありました。

また、子どもへの指導については学んできましたし、経験もありましたが、クラブ経営(マネジメント)という観点では無知でしたし、いわゆる起業ですから税務も含め、トンチンカンな事ばかりで辛かったのを覚えています。

コーチがしたい!子ども達のために!なんて情熱溢れる動機から立ち上がりましたが、STAFFの税務や社会保険など官公庁の皆様と対等にお話しせねばならないことに向こう見ず過ぎました。反省しています。若いからこそ飛び込めたんだと思います。

クラブ理念、「ココロの澄んだ素敵な青少年」を育てるというのはとても難しいですね。青少年の育成に関しては大学院時代に書かれた論文が基本にあるとのこと。

まず、私の研究は「子どものセルフエスティーム増強に及ぼすスポーツクラブ参加の影響」というもので、海外ではこの「セルフエスティーム」を育むことが教育場面で非常に大事にされているのです。日本語では自尊感情とか自尊心とかって訳され「自身を肯定的に評価できる感情」だなんて定義されたりもします。って言われてもシックリこないんですよね。このセルフエスティームってやつは・・・。(笑)

たとえば、反社会行動や薬物依存、非行、不登校、イジメなど問題を抱える子どもらを調べていくと、決まってセルフエスティームが低いというのです。ですので、そういった子どもらを守るためにも学校でも家庭でもセルフエスティームを向上させることに重きを置いた教育をしていこうとしているのだそうです。

そして、私の研究の場合は、子どもが、成功経験や上達、習得や勝利といった競技そのものからセルフエスティームを向上させられることは勿論ですが、クラブに参加することで、仲間や指導者といったクラブにまつわるソーシャルサポートによってもセルフエスティームを向上させることができるのでは?っと考えたのです。

だって、「ミスした」って泣きたくなっても「オマエ頑張ったな」「前回より超良くなってるじゃん」「この調子でいけば、次は必ず成功しちゃうぜ」なんて声かけられたワクワク楽しくなってくるでしょ?ミスして、怒鳴られて、傷口に辛子を塗り込むようなこと言われても楽しくないですしね。

スポーツの起源は遊びにあるわけで、楽しくなければダメなのです。そもそも、叱られて伸びる正常な生き物なんて学習性無力感理論など見ても科学的に存在しません。大人だって、叱られたらワクワクする人なんていないはずですよね?子どもなら尚更です。

なので、ピッチの中で仲間が成功したらどんな風に声をかけてみよう!仲間が躓いたら、どんな風に励ましてあげよう!ピッチの外でも、仲間の大切さや思いやりある言動について学ぶことで行動を変える。人は認知を変化させないことには行動は変わりませんからね。そういった、思いやり溢れる個を育てていくことで、群になった時に一緒になって喜び、励まし、大笑いできるチームへとなるのです。

そういった、競技そのものから得られる恩恵も勿論ですが、競技の周辺にあるチームという考え方であったり、そういったものからも恩恵を余すことなく受けてしまおうと思っています。ただ、宗教がかった特別なことは何も言いません。友達は大切ですよ。挨拶はすると気持ち良いね。思いやりって素敵だね。自由の裏には責任がつきものだものね。努力することって苦しいけどカッコイイね。

そんな当り前なことを当り前にこなすことの難しさを説いていくことが重要で、特別な呪文でもかけてとんでもない個を育てようとは思っていません。当り前なことを当り前にできればイイのです。そんなレクチャーを時間をかけて行うのです。煙草を吸ってはいけないことを知っているのに、なぜ吸いたくなるのでしょうね?

勉強しなくてはいけないことを知っているのに、なぜ勉強する気が起きないのでしょうね?そんな心に気づける人になっていきます。

実際にクラブを設立し、運営を続けていく中で、難しい面というのはどのようなことでしょう?

やはり、いくら良い子を育てたい!サッカーはツールです!と思っていても、集まってくるのはサッカーの大好きな子らですし、サッカーの好きな保護者も多いです。

そうなると、勝敗などでは悩まされます。負けることで気づけることの素晴らしさもありますよね?でも、そんなの理解されなかったり・・・。そういう意味ではフレッシュCUPの優勝は良かったのかもしれませんね。

ただ、サッカーだけがしたければ、よそのクラブでも良いわけです。でも、年々思うのは、GONAへの入団希望者はそういったサッカー+αな部分を感じて集まってきて下さっているように思うのです。だとすれば、理念を大事にして活動できているように思います。葛藤はございません。

悲しいこともありましたか?

GONAのライバルはディズニーランドです!とは言え、万人受けするクラブなんてございません。そんなこと百も承知ですが、少しでも多くの子らに楽しんで欲しいと思って運営しています。

それにも関わらず、私達の運営能力・指導力の無さが理由で、退会する選手が稀におります。そんな選手へは申し訳ない思いでイッパイになります。何が起きてもGONAは辞めたくないんだ!そんな感情になるまで導いてあげられなかった私達の負けです。それは悲しいですね。

もう1つは、セレクションで入団を断らなくてはいけなくなった時です。創立当初に比べて、地域の中でも恐らくナンバーワンの入会希望者の数のクラブへと変わってきました。それは、大変嬉しいことです。

ただ、100人入会希望者が出て来ても、100人全員を受け入れてしまうと、流石に目が行き届きません。ですから、入団をお断りせねばならない選手が出て来ていて、どの選手も魅力的で素敵な選手ばかりなのです。子ども達の笑顔のためにGONAはあるのに、GONAをキッカケに涙を飲まなくてはならない選手が出てくるのは苦しくてたまりません。

どうにか、優秀な指導者を増やしたりして、全員受け入れることはできないのか?なんて考えたこともございます。ですから、勝利や大会ってことに疑問を抱いたりしました。勝てなくても大会に出られなくても、良い子を育てられるのに・・・なんて思ったことも。でも、それでは、選手も保護者も理解してくれないでしょうしね・・・。

同じような話ですが、大好きな子どもが「勝ちたい」「合格したい」っと夢や目標を抱き、それを実らせるお手伝いが僕らコーチの仕事であって、その過程の中で素敵な選手に育ってくれればと思っています。

ですから、勝利や合格などの夢や目標に敗れた時、叶わなかった時は傍に居る者として責任感じますし、悲しいですね。耐えられません。

最も楽しかったことは?

1日1日が楽しいです。GONAのライバルはJクラブではありません。レアルやバルサでも無いのです。ディズニーランドがライバルです。ですから、「あぁGONA行きたいよ!」っと毎日毎日、子ども達に思ってもらえるような楽しい場所でなくてはいけません。

ですから、この質問への正しい答えは・・・「毎日」ってのが正しいかもしれません。毎日が楽しいですよ。今日が最も楽しいです。

STAFF全員そうだと思いますが、先生や指導者という感覚は希薄かもしれません。そして、よそのクラブで指導はできないかもしれません。というのは、「~してあげたい!」という先生指導者気質よりも、「あの子たちの傍に居たい。」「彼らの笑顔が見たい。」ただ、それだけだと思うのです。恋みたいなもんです。選手にクラブに恋しています。

だから、日々楽しくて当然です。恋ですから、苦しいことにも辛いことにも耐えられるのです。失いたくないですからね。失って、痛くも辛くもない恋なんて偽物の恋です。真剣に恋しています。GONA愛ですね。

サッカーの指導者として、常日頃心掛けているようなことや大切にしていることがあれば教えてください。

常日頃から、STAFFにもGONAを愛して欲しいと思っています。GONAを愛せない指導者に、GONAっ子の指導はできません。S級であれA級であれ、大事なのは目の前にいる選手達にどれだけ愛情を注ぎ、接することができるか?だと思っています。子ども達にこんな話をしたことがあります。あなた達を頂点へと導こうと思ったら、モウリーニョやグアルディオラを連れてくれば良いかもしれない。そんな凄いコーチにアタシは勝てません。

でも、世界中の名監督、名コーチに負けないことがたった1つだけある。それは、あなた達を世界で最も愛しているのは私だ!ってね。あなた達が大切なんだ!ってことはシッカリと伝えてあげたいと思っています。

また、GONAには将来「指導者になりたい」なんて子がとても多いように思います。入団当初は誰もが「日本代表になりたい」って書いてたのに、15歳を迎えて進路を考えた際に、コーチという選択肢が出てくるのは嬉しいことです。選手としてダメだからコーチ!というのではなく、コーチという職業に憧れを抱いていくれているようなのです。

コーチとしてのお手本になることもそうですが、人として大人として御手本になれるようなコーチであって欲しいと思っています。金髪でタバコ吸って、飲んだくれて、だらしがなくて・・・そんなコーチはダメです。よく学び、よく努力をし、夢を持ち、生きて欲しいと思っています。

GONAにはコーチとして東京を背負っていきたい!って思っている者やFIFAワールドカップにレフェリーで出たい!って思っている者、種目は違えど日本代表として世界で戦いたい!アジアの国々に足を運び、貧しい国の人々を元気にしたい!などなど様々な夢を抱いているコーチが沢山います。その理由は、子ども達に、何歳になっても夢を追う姿を見せてやって欲しいと思っているのです。

夢を抱かず生きている大人は沢山います。でも、私がゴレンジャーになりたかったように、幼い時は誰もが夢を持っていたはずです。夢が生きる力をくれたはずです。コーチたるもの夢を持つことは大事だと思っています。

読書をすると、読んだ分だけ世界が広がるように、コーチが夢を抱いたり、見分を広めるために人々に出会ったり、世界に足を運び何か感銘を受けることが、そのまま選手達に還元されると思っています。

「自宅とグラウンドの往復しかせず、サッカーしか知らないサッカーしか興味の無い者」と、「世界の広さ、芸術の美しさ、人の温かさ、笑顔の偉大さを知っている者」、どちらが子ども達の心を鷲掴みにし動かすことができるでしょうか?

福生という町で、GONAはどんなクラブとして成長させたいですか?

おかげさまで、10年経ち、地域でも認知されるようになってきました。市長さんも「よっ!GONA頑張ってますか!」っと声をかけてくれるほどで・・・。だからこそ、このGONAの楽しさを少しでも多くの人々に味わって欲しいっと思っています。

先日は、子育てでストレスフルなママ達を集めてスポーツ教室を開催したり、笑顔を配達してきました。どうやらシッカリと届いたようで、みんな元気に帰ってくれました。

GONAの今は、「サッカーをしている」「小中学生」の「男子」というように、地域に住まわれている人々の、ほんの一部の人にしかGONAを味わってもらえていません。

「クラブ」とは「人々の集う場所」という意味があるようです。ですから、このGONAを介すことで地域のミンナに笑顔になってもらえるようなクラブへと成長させていきたいと思っています。

ライバルはディズニーランドです。(笑)
地域の人々が、笑って「GONAして欲しいです」。

GONAを巣立っていく子どもたちに、どんな大人へと成長してほしいですか?

今年、被災地に選手達を連れて行きました。東日本大震災が起きたのは知っている・・・なのに別の国で起きている話題かのように過ごしてて、風化しそうになっていることに憂いたりもしない。そんな、何もアクションを起こせない人になって欲しくなかったから、彼らを被災地に連れていきました。見て聞いて嗅いで触って味わって感じて見たからこそ湧いてきた思いがあるようでした。

歴史を紐解くと、内容がどうであれ若者たちが日本を良くしよう!って立ち上がり行動して来たと思うのです。しかし、現代の若者はそんなパワーが見えません。革命を起こせ!などと乱暴なことを言っているのではなく、日本や世界の現状をシッカリと把握し、アクションの起こせる人になって欲しいのです。日本が、世界が、地球が苦しくなった時に先頭に立って知恵を絞り「行くぞ!」っと幕末の志士らのように一生懸命に生きて欲しいのです。


最後に、篠田さん自身の「続きの夢」についてお聞かせください。

3つございます。1つは、日本中の子どもの前に立つ仕事を目指す人々のためにもなりたいと考えていて、大学・短大・専門学校で教鞭もとってみたいんです。そうすれば、日本中にGONAみたいな笑顔いっぱいのクラブが増えていくのでは?なんて思っています。

もう1つは、このクラブ経営ですが、Jクラブや企業クラブの数はほんのわずかで、草の根のクラブはどのクラブも似たり寄ったりの経営をしているのだと思うのです。コーチ業で大金持ちなんて居りません。夢が無いですよね?そこが整えば、もっともっと優秀な人材が競うように流入してきて溢れて来ると思うのです。すると、更にスポーツ文化が確立され、子ども達を取り巻くスポーツ環境が整っていくと思っています。

ですから、MBAを取得!なんて考えてはいませんが、クラブ経営の在り方を整えて、日本のスタンダードを築ければと思っています。次の10年はこの2つを重点的に戦っていこうと思っています。

そして、最後の夢はQ10と内容が重複しますが、まだ見ぬ未来で、日本各地、世界各地で起きている様々なムーブメントの中心に居る人々の共通点を探してみた時に、どうやら、幼い時に「GONA」というクラブで育っていたようだぞ!!っと世の中の人々がアッと驚くクラブにしたいです。

明治維新を整えていった時に、多くの人材が「松下村塾」に辿り着いた!のと同じイメージです(笑)。そんな素敵な人材を輩出するクラブになることが夢ですね。笑顔と夢の溢れる子ども達を育てていくことが私の夢です。


文責WASEDABOOK編集部
インタビュー 2012年秋